「仏教離れ」に拍車がかかっていると言われて久しい昨今、かつてない混迷の時代に価値観は迷走度合を深めているように思われます。
私たちは、僧侶として現代社会に何ができるでしょうか?
東京で法務に携わって幾年、仏教を取り巻く現状に接してきました。
世間一般に、私たちは「日々の生活におわれ死者のことなど構っていられない」「死んだ者にお金をかけるのは勿体ない」、そういった風潮が顕かです。
できるだけ手間や費用をかけたくないという生者の都合によって、法事や葬式はますます簡略化、簡素化されていっています。家族葬や火葬のみといった略式化がどんどん進み、そうした傾向はこの先も加速していくのではないかと思われます。
しかし、決して死者を悼むという気持ちが失くなったわけではありません。
私は、数多くの葬儀・法事に帯同し、故人や遺族と時間を共にしてまいりました。そこで聞くのは、逝く人が抱く不安や怖れや心残り、残された者の悲しみや寂しさや虚しさ、後悔や悔悟の念など。そうした気持ちに寄り添い、仏の教えを説いてきました。死者を悼む気持ちは、いかに時代が変わろうとも決して変わることはないことを確信しています。
そうはいっても、葬儀には多額の費用がかかります。葬儀代がなく、遺体・遺骨を遺棄して逮捕されるなどといったいたたまれない事件も耳にします。
また、そうした人を食い物にする業者も存在します。
格安をうたい文句に偽物の僧侶を派遣したり、入手した個人情報・僧籍を不正に転用する、また、「マージン」「紹介料」と称し、お布施から差し引いたキックバックを脱税するなど、悪徳業者による被害も後を絶ちません。
そのような流れの中では、真面目に発心を志す僧侶も自行に専念することができず、本来の宗教的意義と弔いの心は失われ、満足感の薄い粗雑な葬儀・法事が増えていくことは避けれらません。
遺族の気持ちに応え、安価かつ安心で、心のこもった葬儀・法事ができないものか?
仏教の豊かな精神性をどう守り伝えていくか?
そう考えた私は、インターネットを介して施(喪)主と直接に繋がることで、信頼と安心の葬儀・法事を厳修することを立志いたしました。中間業者の配益を排し、不毛な価格競争を避けることで、質を下げることなく、適正価格での満足と充実の仏事を目指しています。
特に、難解で経費面でもブラックボックスであった葬儀に関しては、予算に応じた多種のプランを準備し、明瞭会計と内容の充実に配心しています。施行する葬儀社は、当寺でも信頼しておつきあいしている優良葬儀社に限り、良心的で心のこもったサービスは、きっと皆様の御心に適うと自負しています。
死者の冥福と生者の幸福を祈るのは、宗教者の勤めであることに疑いの余地はありません。これもまた時代に必要とされる僧侶の在り方の一つであると考えます。
また、高齢化や核家族化、少子化が進む現代において、「お墓を建てる予算がない」「お墓を維持する子孫が居ない」といった悩みをよく耳にします。
そうした声にお応えして、遺骨をお寺で引き受ける「永代供養墓」を設けました。新たに檀家になるわけではなく、墓地使用料、寺院管理費などで子孫に負担をかけることもありません。遺骨は、お寺が存続する限り責任を持って管理、供養いたします。
他、「生きているうちに仏道に帰依したい」という方には「生前戒名授与」、魂の安住の地に高野山を希望される方には「高野山奥之院への分骨」などもお勧めしています。
南福寺後援会「Bodhi-Tree会」では、生きた仏教実践の道場として「東京ヴィパッサナー瞑想道場」、芸術の発展と興隆のために「高野山1000年まつり」、その他慈善活動も幅広く行っています。
皆様が仏縁を授かり、仏法に導かれ、全ての苦しみから解脱されることを祈念いたします。 合掌